土方洋(ヒジカタヒロシ)ニックネームのターナーです。
ボクは恵比寿で営業支援スーツというオーダーメイドスーツの仕立屋をしています。
先日参加しました法事の場において思うこと。
記録よりも記憶に残る生き方
ギネスブックに始まり、国別ランキングに、FIFAランキングとなんでも世の中は数値化してしまっています。
デジタル化ということは数値になるわけで、0か1の羅列ですべてをまかなうということになります。
近い将来現れる量子コンピュータではそれ以外が存在するそうですが、それでも数値化という意味においては変わらない。
言ってみれば学校でも数値化、会社でも数値化、個人勤評も数字になってしまいますからね。
それはそれで必要なことではありますが、最後は数字=記録になってしまいます。
記録を競うことも必要なことではありますし、それによって自分を伸ばしていらっしゃる方も沢山いらっしゃいます。
ベストなパフォーマンスを引き出せる時はそれが正解だとボクも思います。
とはいえ、人生の最後となる時にその記録はそれほど意味をなさないのかもしれません。
記録はやがて塗り替えられ、薄れていきます。
記憶の方が残る。
その人としてのあり方、生き様のほうが記憶として残る。
人が亡くなった日を命日と呼びます。
亡くなったのに命の日と書きます。
何気なく使っているこの言葉には意味がるそうです。
現世にお別れを告げましたが、それは新たに仏さまになられたという日だから命日。
かなしみはありますが、おめでたいことであります。
とある地方では、とある和尚さんはお亡くなりになられたとの連絡をすると「おめでとうございます」とおっしゃるそうです。
そんなお説法を聞きながら、命日は記録ではないんだなと。
記憶のほうがよいなと、そんなことを考えておりました。
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